西宮競輪場(兵庫県)
1949(昭24)年〜2002(平14)年

当時の阪急ブレーブスは「弱小球団」であったが故に
集客が低迷していた
その阪急電鉄株式会社の球場に
やぐらの上に木製のパネル120枚を張り合わせた周長300mのバンクを作り
1949(昭24)年:
兵庫県市町競輪事務組合主催による第一回西宮競輪が開催される

開始当初より常に大入り満員で
プロ野球公式戦より
1日あたりの
入場者ははるかに多かった
そのため
お盆のかきいれ時はブレーブスより
競輪の開催が優先されるようになった
これが
後年ブレーブスの本拠地移転の理由の一つにもなったという


競輪開催日前々日に競走路を組み立て
開催日が終わると解体し
バンクなど一式はレフト外野席後方の敷地内の一角に固めて収められた

しかし
当時のバンクはパネルが安定せず振動で選手の力が極端に奪われることや
落車した時に木のささくれが肌に入り込んで擦過傷がひどいことなどから
選手から不評が相次いだと言われている


1966(昭41)年:パネルをアスファルトに変更
当時、存在した特別競輪(現:G1)の「
全国都道府県選抜競輪」も開催された



<昭和42年度・西宮市主催・連勝単式勝者投票券>


1978(昭53)年:球場に人工芝が敷設されたことに合わせバンクを333.3mに改修

元々、野球場のためスペースの都合で空調完備の特別観覧席の設置が難しく
永きにわたり特別観覧席の設置は見送られてきた
スタンド観戦では「夏季は暑く冬季は寒い」と観客には不評であり
バックスクリーンを取り壊したその跡地に
全天候型・ガラス張りの特別観覧席を設置
競輪場としての顔をより一層充実させてきた


しかし
売り上げは減少し始め
施行者である兵庫県の外郭団体
兵庫県市町競輪事務組合の赤字経営も災いし
経費削減などの努力もされたが
それでも収支が好転せず
甲子園競輪場とともに兵庫県市町競輪事務組合開催を廃止することを決定

2002(平14)年:
西宮競輪場廃止に至る

跡地には大型商業施設阪急西宮ガーデンズが開業する



兵庫県西宮市